ブログ聖火リレー ①

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ブログ聖火リレー ①

明石市立木の根学園ひまわり工房管理者 三村寛裕

皆さんこんにちは。新年度まであと1日になりましたね。
新たなスタートに向けての準備、不安と期待と入り混じり、周りも少しピリピリとした雰囲気、花粉症も重なるから私は非常に苦手時期です。
先週末には扁桃腺が腫れるし、ものもらいもできるし、ほぼ毎年この時期は不調気味・・・
さらに今年は新型コロナウィルス対策において、見通しの立たない不安な毎日。社会全体的に落ち込み気味。感染された方々の回復と、少しでも早い終息を心から祈るばかりです。

でも、こんなときだからこそ「心に火を灯そう!」
命の大切さを実感し、何気なく過ごせる日々が幸せであることを感じ、気持ちが前に向くようなことをやっていこう。
そこで「ブログ聖火リレー」と銘打ち管理者、新役職の職員でブログリレーを行うことにしました。オリンピックは残念ながら延期になりましたが、タイトルは変更せず!明桜会の聖火をつないでいきたいと思います。

それでは第1走者 厄年をかけぬけた巳年男子!スタートを切らせていただきます。

先日、ホームページのスタッフインタビューに掲載していただきました。ここでは、掲載しきれなかった部分を少し書かせていただこうと思います。

<この仕事に従事したきっかけ>
私の今の起源は学生時代に参加したキャンプ引率ボランティア、そこで出会った男性との関りでした。その方は、ガムを噛んでおられて、時々口から出しては手のひらでコロコロ丸めて「丸い物は好き・・・」、時々伸ばしては「長いものは好き・・・」と言葉にされていました。「自閉症」と障害名を教えてもらったのですが19歳になるまで知的障害の方と接したこともなかった私、「なんでこんなことするんだろ?・・・」くらいにしか考えることができませんでした。目を合わせてくださらない方で、一緒に過ごしている時間も必要最低限のお声掛けと誘導しかできず、やり取りらしいことはほとんどなく。でも、その方の穏やかな声のトーンや表情、周りを気にせずマイペースな感じ、最初は違和感だらけだったのが次第に一緒に過ごすことが、“なんとなく心地よく”楽しく感じました。この“なんとなく心地よく”の魅力に引かれ、知的障害の分野を中心に実習やボランティア活動に参加させていただくようになりました。障害のある方の行動や言動の見え方が変わっていく新鮮な感覚、職員さんの活気ある働きぶり、沢山の刺激を受け「障害者福祉」が私の中の進路選択肢になりました。そんな中、社会福祉法人明桜会の立ち上げにご縁をいただき従事させていただくようになった次第です。

<支援と人材育成について>
新任当初、作業支援をしていて材料がなくなってきたら、提供できる活動がなくなるという理由で仕上げた商品を解体して、再度行っていただくといったようなことをしていたことがありました。誰も疑問に感じることなく、活動が止まってしまってご利用者が困らないようにするための対応として。でも、上司がその対応に気づいたときに「そんな仕事に何の意味があるんや!そんな無駄な時間を利用者にさせて何とも思わんのか!仕事がなくなったんやったら、散歩に出かけたり、話をしたり、くつろいだりした方が意味のある(ご利用者にとって)充実した時間になるやろ。そのために何ができるか考えるのが仕事やろ!」と凄く怒られたのを思い出します。ご利用者が困らないようにと思ってしていたけど、本当は職員が困らないようにするための対応であったこと。また、達成のないことをご利用者にさせてしまっていたことを学びました。今でも思い出すと後悔します。

支援において、「○○作業をしました。」「○○に行きました。」って、報告用の事実と行動を求められるので、そこが目的になってしまって、「その人がどんな時間を過ごされたのか?」が忘れてしまうことがあります。「ルールを守る」「日課をこなす」が先になって、周りの人のためや事業所の都合が主語になっていたり、支援者側が正しいと思っている過ごし方を一方的に求めてしまっていることも時々起こってしまいます。
現場では「とは言え・・・」と限界性の話は伴うけれど、「わがままですよ。」「そんなことはここではできません。」と即答することなく、ご利用者とスタッフと一緒に考えることを大切にできる支援環境を作ります。

お一人お一人が、話がしたい時に話を聞いてもらえて、頑張れていることや良い面に気づいてもらえて、そこに居ることを認めてもらえている。「今日も(通って)良かったな」って日が少しでも多くなるよう、さらには人生を振り返った時に「まんざらでもなかったな」と感じることが出来るように、その人らしさに寄り添って工夫を重ねる。そのためにスタッフが学び、創造することを楽しみ、時に立ちどまれる機会を作っていきたいと思っています。

<自分自身に対して・・・>
年を重ねても、ついつい周りのせいにしてしまったり、他者の変化を先に求めたり、感性が成熟していないなと思うことが日常の中で多々起こります。だから、できるだけ対人援助において、他者にではなく自分自身に向けて意識したいことや自然にしていると疎かになることを振り返ることができるようにしています。

「優しくいよう」
※つもりレベルから抜け出せないので頑張ろう。
「挨拶は自分からしよう」
※これはほぼできるようになったかな?
「表情は柔らかく 笑顔でいよう」
※たまに目が笑っていないそうです(笑 ニコニコしていたら、ニヤニヤしていると言われることも・・・
「穏やかな声で話そう」
※播州弁が出ないように 使い分けはできるようになってるはず・・・
「介助で利用者の体に触れる機会があるので手は綺麗にしよう」
※週1は爪切りとケアを・・・
「目線の高さは合わせよう」
※元々、背が低いから結構やれてます
「(利用者の)体に触れたりする前にきちんと声をかけよう」
※特に体を支える前には絶対に
「尊い仕事である自覚を持とう」
※昔、実習生に言ってもらった言葉
「自分の支援を自分が受けたいと思えるか考える」
※これに尽きる


こんなことをPCの付箋機能に掲げて・・・・たまに読み返します。
どれも当たり前レベルのことですがオール100点と自負できるものにはなりません。自他ともに「できている」って言い切れる日は来ないと思っています。でも、できている・できていないに固執せず「誰かのために自分ができること・できそうなことを丁寧に」と立場に振り回されず継続実践していこうと思っています。

<人が過ごす場所は「掃除」が大切>
法人内では少し有名です。「掃除はする人」って思っている人もいるかもです(^_^;)
何年たっても「自分ができる事」の軸においています。「誰かのために」「自分のために」の両側面あります。学生のころある施設に訪れた時にすごく汚くて、なんか独特のにおいがして、「でも、そこで生活する人がいるから失礼だから、そんな風に思ってはダメ」と思ったことがありました。この感覚をずっと大切にしています。利用されている方・利用を考えておられる方、スタッフ皆に清潔で整頓された環境で、気持ちよく過ごしてほしいと願っています。環境は支援や雰囲気に影響します。整理整頓されているだけでも業務の効率化が図れるし、どこに何があるか共有できると無駄な動きは減るし、物も壊れにくくなって経費的な無駄も減ります。
「自分のために」は、できていないことに目が向いてしまった時にこれだけはできていると自分の気持ちをポジティブに調整するのに役立てています。
神経質、潔癖症とかに見られることがあるのでまだまだ未熟です。定年までやり切れたら「俺の流儀」って、スマートに言ってやろうと思っています(*^^)v
※ただ、片づけは苦手なんです・・・。誰かのサポートが必要です。

最後に
無知だった学生のころの僕が感じた“なんとなく心地よく”を一緒に追求しませんか?
また、地域の中で無知を減らしていくことを一緒に楽しみませんか?
明桜会は障害のあるないに関わらず、すべての人が地域で当たり前に暮らし続けることができるまちづくりを目指す取り組みを行っています。壮大な課題ですが、明桜会には共に協力し合える凄い仲間が沢山いるので実現に向けて色んな事ができると思います。
ぜひ、ともに歩み 明日を創りましょ♪

はぁ・・・。歳でしょうか・・・。少しつまずき気味でしたが、一生懸命走りました~。明日からも笑顔で頑張るぞ!

第2走者(4月)に聖火をつなぎます。尊敬する大切な仲間の一人です。
本当の足はどうか未知数ですが、精悍な走りを見せてくれるはずです!乞うご期待♪