ブログリレー 第5走者の奥山智子です。
現在は あいすくりーむの家・やまゆりの家・かいのきの管理者をしております。
明桜会(大地の家)に入職したのは2001年、それまでは「木の根学園」「臨床検査研究所」で
勤務し、ず~とさかのぼり「幼稚園教諭」をしていました。
そして、明桜会で18年目を迎えました。
私が障害分野に足を踏み入れたのは、明石市の臨時職員として木の根学園に配属されたことがきっかけでした。
当初障害への知識もないまま支援員としての仕事につきました。
箸入れ作業や箱折作業、ケーキ室のお手伝い・・・無知な私は3日目にして辞めようと思ってしまいました。
が、そんな私の様子に気づいたのか「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてくれたのが、ある利用者さんでした。
それがきっかけで20数年障害分野でのお仕事を続けることが出来ています。
今になれば・・・ですが、40年ほど前、幼稚園教諭をしていた頃、知的障害の知識は殆どありませんでした。
勤務先はマンモス幼稚園で神戸市ではまずまず知られた幼稚園でした。
職員の教育においても廊下は走らない。子供たちを「坊ちゃん、お嬢さん」と呼び、女性としての嗜みも
心得る・・・と言った感じでした(私にとっては沢山の事を学ばしていただきました)。
そのように教えられている中で、
先輩先生のクラスにお母様が毎日付いて来られる子供がいました。
「ちょっとやんちゃなのかな?」と思っていましたが、急に運動場に出て走り回ったり、
砂場へ行けば頭から砂をかぶっている。
蛇口を見つけては洋服がビチャビチャになっても水遊びを続けている。
「先輩先生って大変だな~」と思っていました。
その先輩先生が「〇〇ちゃん!帰ってきて!」と声をかけながら走って追いかけていることが多々ありました。
確かに走っているのは廊下ではなく運動場だから良いか・・・と思いながら見ていました。
この〇〇ちゃんが自閉症であるということを後から知りました。
でも〇〇ちゃん、とっても優しい表情でいつも笑っている印象があり、実は私も一緒に運動場を走り回っていた
記憶があります。
私は明桜会に入職するまで、さほどの山や谷を感じたことがない人生を送っていました。
通所事業所では「おはようございます」から「さようなら、また明日」と一日を楽しく有意義に過ごしていただき、
利用者さんをご家族の元へお返しすることで、安堵を感じ明日を迎えることとなりますが、大地の家は入所施設
ですから、生活全般をお受けする為、すべてにおいてご家族の代役になります。
こうして利用者さんと生活を共にし数年たち「本当に人生の幸せや生きがいは何か?」を考えるように
なりました。
私自身が年を重ねてきたこともあるかと思いますが、一日一回生きていてよかった・・・と思える瞬間を誰しもが
感じることが出来れば・・・そう思うようになりました。
現在、医療的ケアの必要な方や身体的機能の低下がみられる方々にご利用いただいているあいすくりーむの家、
かいのきでは一人ひとりに悔いのない人生を送っていただきたい。「楽しいね」と思える瞬間を増やしていきたいと
職員は取り組んでいます。
アイスクリームは冷たいけれど、あいすくりーむの家は暖かいホームであり続けるよう努めてまいります。
また、市内に点在するやまゆりの家で暮らされている利用者さんにとっても健康で有意義に毎日が過ごせるよう、
職員と共に努めてまいります。
福祉の大学や専門学校を出られて、障害分野を目指される方、なんとなく福祉に興味を持ち入職された方、
明桜会にも色々な想いでお勤めいただいていると思います。
今まで知らなくても解らなくても、ノープロブレム!知った時、感じた時から始まると思います。
少なくとも私はそうでした・・・
どうぞ、利用者さんも職員さんも今生きているその時代(とき)、その瞬間(とき)を大切に
感じていただければ幸いです。
※私の長~い 時 の積み重ねがこの写真です!
1歳の誕生日〇〇年後→ 今、勿論→右です
これからも自分自身も楽しく、生きている喜びを感じながら、皆さんと共に歩んでいきたいと心から思っております。